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玉名簡易裁判所 昭和42年(ろ)40号 判決 1970年6月06日

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実

被告人に対する公訴事実は、

「被告人は、昭和四二年七月三一日午後五時頃、熊本県公安委員会が道路標識によつて二輪を除自動車の通行禁止の場所と指定した熊本市本丸二加藤神社横道路において、該道路標識の表示に注意し通行が禁止されている場所でないことを確認して通行すべき義務を怠り、同所が右通行禁止の場所であることに気づかないで、軽四輪貨物自動車(八熊き八五―五四号)を運転して進行したものである。」というにある。

第二、当裁判所の判断

一、告示の改廃と本件との関係について

後記認定のごとく、本件当時右指定区間の通行禁止は、昭和四〇年一二月二七日熊本県公安委員会告示第二一号(同四一年二月一日施行)および同四一年三月二日同委員会告示第三号(同年四月一日施行)によつて路線バスおよび二輪を除く自動車の全部に及んでいたが、同四二年一一月二四日同公安委員会告示第九号(昭和四三年一月二〇日施行)によつて、軽自動車は、右対象から除外されるにいたつたので、本件当時においては同自動車の該区間通行に対する可罰性は失われるに至つたものというべく、したがつて右告示の改廃が、その施行中における違反行為に消長を来たすか否か、すなわち刑法第六条刑事訴訟法第三三七条第二号等適用の要否について、まづ検討する要ありといわなければならない。

よつて審按するに、道路交通法第一一九条は、車両等の運転者が同法第七条(通行の禁止及び制限)の規定による公安委員会の禁止等に従わない行為を処罰の対象としておるものであるところ、同委員会の右通行禁止等は区間を定め道路標識を設置してこれを行なわなければならないものであるから、現実に同委員会によりかかる措置(行政処分)がとられないかぎり構成要件の具体的充足はなく、結局右同法第一一九条はいわゆる白地刑法に属し、刑罰の条件たる構成要件の内容を他の機関の行政処分に委ね、補充さるべき空白を残した刑罰規範というべきである。

したがつて通行禁止等の始期、区間、車両の種類等を具体化するため発せられる公安委員会の告示は、右空白を補充して規範を完成する性質を有するものであるといわねばならない。

然りとすれば、前記告示の改変は、刑法第六条所定の刑の変更ではなく、その前提条件たる構成要件の内容の変更となるものであるから、右同条の適用はないものというべきであり(木村亀二著刑法総論一一五〜一一八頁参照)、したがつて本件被告人の所為に対しては、その行為時法である昭和四〇年一二月二七日熊本県公安委員会告示第二一号(同四一年二月一日施行)によりその構成要件の内容が充足されていた時点における前記道路交通法第一一九条第二項第一号の適用があるものというべく、もとより刑事訴訟法第三三七条第二号適用の余地はなく、よつてさらにその実体について審理を要するものといわなければならない。

二、本件指定区間通行禁止の規制が適法かつ有効になされていたか否かについて

(甲)  標識設置の位置ならびに箇数について瑕疵が存したか否かについて

被告人は、起訴状記載の日時場所において同記載の軽自動車を運転し約三五メートル進行したことは間違いないが、該場所は行幸坂方面から北上して京町方面に向う道路と、熊本城前広場から右京町方面に向う道路とが交差する地点に当るので道路標識は右行幸坂方面からの交通に正対するものと、右広場方面からの交通に正対するものと各一基宛合計二基設置せらるべきものであるのにも拘らず、右行幸坂方面に正対して唯一基設けられておるだけであるため右広場方面からはまことに見えにくい位置にあり、これは道路標識は歩行者、車両及び路面電車がその前方から見やすいように、かつ道路または交通の状況に応じて必要と認める数のものを設置しなければならないとする道路標識の設置基準に関する法令(道路交通法施行令第七条第三項)の要請を充さない違法のものであり、これにより表示された当該規制の行政処分を無効ならしめるものであるから、結局判示場所には自動車の通行を禁止する適法かつ有効な道路標識の設置はなかつたことに帰し被告人は無罪である旨主張するので、以下検討することにする。

(一) 本件現場における交通規制の推移、道路の形態、交通の流れ並びに標識の設置状況等。

(イ) まづ<証拠>を綜合すると、判示場所に対する指定区間通行禁止の規制は、現場が熊本城の石垣に挾まれるようにして曲折しているため同所通行の車両が右石垣に接触もしくは衝突する等の危険なきを保し難い道路環境にあり、かつは重要文化財に指定されている熊本城の城址保存目的からも規制方の要望があつたところより昭和四〇年一二月二七日熊本県公安委員会告示第二一号(同四一年二月一日施行)によつて始められ、その区間は熊本市本丸二加藤神社前より同市二の丸四植物園前の交差点までの約七〇メートル余の間で、かつ当初は二輪を除く自動車がすべてその対象となつたが、その後右二輪のほかに市内観光の利便等の要請から同四一年三月二日付同委員会告示第三号(同年四月一日施行)によつて九州産業交通株式会社の定時路線バス(午前二回午後二回)も右規制対象から外され、さらに急速に激増して飽和状態を超えるにいたつた国道三号線の交通量緩和のため同四二年一一月二四日同委員会告示第九号(同四三年一月二〇日施行)によつて、大型自動車、大型特殊自動車および普通貨物自動車を除くその余の自動車が右規制から除かれ、現在に至つておること等の事実が認められる。

(ロ) つぎに、<証拠>を綜合すると、本件現場は旧熊本城内の一廓に位置し、熊本市行幸坂方面から北上して同市京町方面に抜ける幅員約6.8メートルの市道が薬研堀広場の南側に連なる城址石垣に突き当つて東側の加藤神社境内西北端附近から東方へ曲りさらに北方に折れて監物台樹木園(植物園)前に向う間約七〇メートル余の区間で、かつ右曲折角度は殆んど九〇度に近く、なお右曲折区間は右薬研堀南側の石垣と加藤神社北側の石垣とに挾まれ、いわゆるクランク型屈折カーブをなしておるため、その入口(南側)手前附近において曲折方向を見透すことは全く不可能であるところより、行幸坂方面から北上する車両は本件現場手前においては必然的に極めて緩徐な速度で進行さざるを得ない道路状況にあるものであること、右行幸坂を上り詰めた辺(熊本城入口附近)と右薬研堀南側の石垣手前までの間の該市道西側は一帯に砂利を敷き詰めたいわゆる熊本城前広場で、その東側の南端寄りと同北端寄りに各一カ所宛該市道と連絡する出入口が開いており、同東側の右出入口以外の部分は南北に連なる鉄柵をもつて右市道と距てられ、広場内の南半地区は観光バスその他車両の駐車場に使用され、同西側地区には土産物店や便所等が並び、東北方の本柵をもつて囲まれた八角型の堀井戸から北側の地域は整地未了で雑草が繁茂し凹凸もあつて、車両類の通行には使用されておらないこと、右広場東側北端寄りの出入口から前記市道に出て京町方面に向おうとする車両においても前記薬研堀南側石垣のため北方の監物台樹木園方面を見透すことは全く不可能であり、かつ前記曲折区間の道路形態からして、右出入口附近を通過するには極めて緩徐な速度で進行さざるを得ない状況にあること、右広場は熊本城に観光目的で来集する見物人の団体や同車両等の集合、駐車、休憩、用便、土産物の売買等の目的で設けられたものであつて、道路(道路法第二条第一項第四条所定の)ではなく(勿論道路運送第二条第八項所定の自動車道でもないことは明らかである)、一般交通の用に供するその他の場所(道路交通法第二条第一号参照)にすぎない(本来の交通目的で設けられた道路は行幸坂方面から本件標識設置箇所を経由して京町方面に出る前記幅員約6.8メートルの舗装道路のみである。)ため、同地域の車両の進入、退出、駐車等の指導管理は熊本城を管理する熊本市の職員がこれに任じておること等の事実が認められる。

(ハ) ところで前顕証拠によると、本件当時前記指定区間の規制処分を表示する道路標識は、前記行幸坂方面から北上して京町方面に向う道路が加藤神社北側城址石垣と薬研堀広場南側城址石垣とに挾まれるようにして右側に曲折する直前の左側路端で、みぎ神社北側石垣の西北端から西北方9.55メートル、右薬研堀広場南側石垣の東南端から西南方17.9メートルの地点(その後右位置は、車道に近く通行車両が該標識に接触してこれを破損する虞れが存したため右薬研堀広場南側の石垣寄りに移動され現在に至つている。)に位置し、その構造は地面に略々垂直(ただし、当裁判所の第一回検証時には、東北方に約二〇度傾いていた。)に建てられた棒状白色鉄柱の上端に規制内容を表示する円形の平面鉄板を密着させたもので、みぎ鉄柱はその基礎を地面に張られた方形のコンクリート内に埋設して固定され、地表上の高さは2.63メートルを算し、補助標識の附置はなく、みぎ円形の平面鉄板に標識番号304号「二輪の自動車以外の自動車通行止め」の規制本標識のみが鮮やかな色彩で画かれておるうえ、灰黒色の城址石垣を背景にして建てられているため極めて眼につき易いこと、ただ右標識板は行幸坂方面から北上する人車の進路に正対して、かつ一基だけ設けられておつたので、もし前記熊本城前広場の北側において右標識板をその真横の方向(真西方)から望むときは、円形の右標識板は、その円周が上下垂直の直線となつて見えるだけであり、さらにより北側に寄るときはみぎ標識板の背面を見ることができても正面は全く見ることができず、したがつてそれが如何なる交通規制を内容としておるものであるかの判別が不可能であるが、平素右広場から前記市道に出る車両の大半は同広場の東側南端寄りの出入口(以下南端出入口と略称する)を利用し、同北端寄りの出入口(以下北端出入口と略称する。)を使用するものは極めて寡ない(因みに当裁判所の前後二回に亘る検証中も右後者の出入口から市道に出た車両は殆んど見かけなかつた)のみらず、右広場の北東地区は既述のごとく、そののうち木柵囲いの八角型堀井戸以北の地域一帯が車馬の通行には適しない不整地であるため右北端出入口から市道(舗装路)に出る車両は通常右井戸より南側の地域を東北方に向つて斜めに進行するのが例であつて、その進路は行幸坂方面から北上する前記市道と(したがつてまた該標識の正対方向とも)鋭角をなし、該井戸に最も接近した箇所を前記出入口に向つて進む(なお地形上徐行せざるを得ないことについては前述したとおりである。)自動車すなわち市道との交差角度が最も大となるような進路をとる自動車の運転者席からも本件標識板をやや斜めながら十分に視認することができ、その区間通行禁止の規制内容も一見して判別できる状況にあること等の事実を認めることができる。

(ニ) 本件道路標識とその設置基準適合の有無。

ところで、道路標識は、公安委員会が道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要であると認めるとき設置することができるものとされておるのである(道路交通法第九条第一項)が、本件現場における規制のごとく公安委員会が区間を定めて車両等の進行を禁止するには、必らず道路標識を設置して行わなければならず(道路交通法第七条第一項第九条第二項前段、道路交通法施行令第七条第一項)、また該標識は所定の様式のものを車両の通行を禁止する区間の前面における道路の中央または左側の路端に、歩行者、車両または路面電車がその前方から見やすいように、かつ道路または交通の状況に応じ必要と認める数のものを設置しなければならないものとされている(道路交通法第九条第三項、道路交通法施行令第七条第三項、道路標識区画線及び道路標示に関する命令第二条、第三条)。

そこで本件当時判示場所に設置されていた道路標識がみぎ設置基準に関する一連の規定に適合しておつたか否かについて審究を要するところ、該標識の様式は劃一的定型的なものであり、またその設置場所も通行禁止区間面における道路の中央または左側の路端と位置的に定まつておるのであつて、いずれも価値的評価の裁量性には親しまないものであるうえ、既述したごとく本件標識が右基準を充たしておつたことは明らかであるから、この点については疑いの余地がない(被告人は設置場所について本件の場合は進路前面の中央に設けるべきであつて、運転者の視野が稀薄な左側路端に設けたのは不適当の措置であると主張するが、右見解は設置場所を前面における道路の中央または左側の路端と択一的に規定している法意を無視した見解にすぎない。)ものというべきである。そうすると、本件標識の基準適合の有無は、結局該標識が車両等がその前方から見やすいものであつたか否か、また当該道路または交通の状況に応じ必要と認める数のものであつたか否かにかかるものというべきである。

いうまでもなく、かかる標識が見やすいか否かというようなことや一個で足るか否かというようなことは、単なる生理的、物理的な問題ではなく、一種の価値的判断の問題であるから、道路における危険の防止その他交通の安全と円滑を図るという法目的を離れては判断できない性質のものであり、法が公安委員会の行う車両の指定区間通行禁止の規制処分につき道路標識の設置を必要としている趣旨を合目的々に理解して判断しなければならないことがらであるといわなければならない。

右見地に立つて考えると、まず見やすいというためには、当該場所を制限速度内で運行する車両の運転者が運転態勢のままで当該標識の規制内容を一見して了解し得ることを必要とすると共にそれをもつて足り(必要にして十分なる要件)、右標識が車両の進行方向に正対しておらなければならないとか、もしくは角度が何度以下でなければならないとかいうようなことは、必らずしも要請されないものというべきである。

けだし、道路標識は、それが見えさえすればよいというものではなく、いかなる車のいかなる通行を規制するのかが容易に判別できるものでなければならず、かつ右判別の主体には歩行者も含まれるが、大多数は一定の速度(制限速度を超えるものについては判別の容易性が保障さるべき限りでないので考慮の要をみない。)をもつて運行する車両の運転者であるから、該運転者が運転を続けながら右標識の規制内容を了解し得られるものでなければならないが、右要求を充たす以上、該標識がその前方からの歩行者や車両または路面電車に対し必らずしも正対することは必要でなく、斜めであつても支障がなく、もとより明文のない角度何度以下というがごとき形式的制限によることを得ないことも明らかであるというべきだからであり、証人岡村文雄の供述によるも、最近における交通心理学乃至交通医学上の研究では、標識の設置角度は車両の進行方向に正対する(直角となる)ものよりも、むしろ斜めとなつているものの方がその視認性においてまさつておることが実証されるに至つておる事実が認められるのである。

因みに、昭和三九年一一月二四日付警察庁丙交指達第六二号も、歩行者横断禁止、一方通行、指定方向外進行禁止、安全地帯および車両通行止と歩行者通行止を併設する場合を除いては、標識の設置は道路(車両の進行方向)と直角または斜めに設置すべきものと定めており、正対を必須とはしておらないのである。

つぎに標識の設置箇数については、当該箇所を通常の運行経路と方法で進行する車両の運転者に対する関係で前記規制判別の容易性が確保されれば足り、異常の経路や方法で進行する車両例えば廃道や通常は交通に使用されていない不整地等から該標識設置箇所に向つて進行する車両や敢えて特異な蛇行進を試みる車両等の運転者に対してまで斉しく規制判別の容易性が保障されなければならないというようなことはないのであるから、一つの標識設置箇所に向つて複数のコースが走つている場合においても、それら各コースからの進行車両に対して規制内容判別の容易性が共に充たされる場合においては必らずしも各コースごとに各別の標識を設置する必要はなく、一箇の標識をもつて足るものというべきである。

もしかかる場合においても、各コースごとに標識の設置を必須とするときは、かえつて運転者に錯覚もしくは混乱を招く虞れが存し、また国家経済上からも不必要な負担であるとの譏りを受けかねないのである。

然りとすれば、本件標識は既に認定したごとく、行幸坂方面および熊本城前広場の南端出入口から北上する車両等に対しては、これに正対しておるので勿論のことであるが、同広場北端出入口から監物台樹木園(植物園)の方へ進行する車両に対しても、右出入口附近における前記地形上から自然右進路は該標識の正対する方向と鋭角をなすように形成され、当該運転者はやや斜めながら右標識の表示する規制内容を十分に視認了解することができる状態にあることが明らかであり、かつ該広場から右進路によつて市道に出る車両は稀れか、極めて寡なく(前記のごとく当裁判所の現場検証時も右進路によつて市道に出る車両は見かけなかつたし、同広場管理の熊本市当局も平素同広場に来集する車両に対しその進入は右広場の北端出入口からなし、退出は同南端出入口からするようにと指導していることが認められる。)、かつ該進路前面の地形上徐行を余儀なくされる道路環境にあるので、該箇所に設置すべき標識は一箇(一基)をもつて足るものというべきである。

そうすると、被告人の本件違反当時該場所に設置されていた区間通行禁止の道路標識は十全とは言い得ないにしても、一応法令所定の設置基準を充たし、同所通行の車両等に対しこれを拘束するに足る有効な規制標識であつたと解するのが相当であり、被告人の前記主張は採用するに由ないものというべきである。

(乙)  「通行禁止」の標識に、「通り抜けできない」旨の標示板を併置することが、当該交通規制の効力に消長を来たすか否かについて

つぎに、被告人は、本件当時前記通行禁止区間の北端(監物台樹木園前)に設置されていた該標識(以下北端本標識と略称する。)脇路上に、「……方面へ自動車(二輪を除く)の通り抜けは出来ません。熊本県公安委員会・熊本市」と記載表示した方形の標示板が設置されてあつたが、およそ通り抜け禁止とは、該区域の全部を通過し終ることを禁ずる趣旨であるから、右区域の一部を通行しただけでも右禁に触れるところの通行禁止とは全く性質の異なるものであり、したがつて右のような文言の記載されている標示板が該道路上に置かれるときは、自動車運転者としては同所が全面的に通行を禁止されておるものであるが、それとも熊本城内を通り抜けないかぎり差し支えないものであるについて迷うことが当然予想されるところであり、現に本件時点からいくばくもない昭和四二年九月一〇日午後三時四五分から同四時三〇分迄のわずか四五分間においても右通行禁止区間を通過進行した車両は実に四二台の多きに及んでおり、終日では優に三〇〇台以上の車両の通行が推定されるのであつて、畢竟これは該北端本標識と右標示板表示の文言とが相矛盾し、前者による該区間の通行を禁止する旨の規制趣旨が後者の文言によつて明確を欠く曖昧なものとなつていたからであり、結局二輪を除く(実際は当時定時路線バスも除外されていた。)自動車の該区間通行を禁止する旨の通行規制は当時適法かつ有効になされていなかつたことに帰着するものといわなければならないので、被告人の所為は犯罪構成要件を充足しないものとして罪とならないものというべきである旨主張するので検討するところ、<証拠>を綜合すると、本件当時被告人主張の場所に同主張のような文言の記載された熊本県公安委員会並びに熊本市連名の標示板の設置されてあつたことが認められる。

しかして、<証拠>を綜合すると、本件区域に、はじめて通行禁止の規制がなされた頃は自動車の違反通行が熄まず、熊本城管理事務所から所轄の熊本北警察署宛に該区域の自動車の通行を禁止するため実効的な措置を講ぜられたい旨とくに要請があり、これにより同警察署交通課が中心となつて、右熊本城管理事務所、熊本市土木課等の関係者が集まり種々対策を協議した結果、まづ自動車運転者の心理として、折角該禁止区間の直前まで来ると、さらに引返して遠廻りするというようなことはなかなかしにくくなるものであるから、なるべく現場から相当離れた手前で運転者の注意を喚起し該規制区域に向わないようにするための標示施設を講ずること、つぎに現場直前まで来た場合でも運転者をして運行を断念するようにし向けるため物理的に通り難い状態をつくること等の方針を決め、そのため右禁止区域に向う各入口、すなわち本件規制区域から南方約二〇〇メートル距つた行幸坂附近右規制区域から西北方約一〇〇メートル距つた熊本家庭裁判所前附近、同規制区域から東北方約五〇メートル距つた棒安坂上り口附近の三カ所に、前記標示板と同型同文言(ただし、行幸坂附近のものは、方面の前に京町の二字が、家庭裁判所前および棒安坂上り口附近のものは、方面の前に行幸橋の三字がそれぞれ記入されてあつた。)の標示板を設け運転者の注意を喚起するようにし、また前記北端本標識の建つている路上附近にはバリケード(最初は固定式のものであつたが、後に移動式のものとなつた。)を設けて自動車がたやすくは通過走行できないようにしたこと、しかして右標示板やバリケードの材料は熊本市土木課において準備提供し、同標示板記載文言は熊本北署交通課指導係において起案し、設置場所は両者の協議によつて決める等同警察署と同市が共同して設置したこと等の事実が認められる。

右事実によると、右標示板は道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(以下道路標識令と略称する。)別表第一所定の様式要件を充足してはいないが、その設置趣旨・方法に徴し、同令同表所定の指示標識中の規制予告(番号409)、すなわち標示板に表示される交通規制が当該道路の前方の場所において行われていることをあらかじめ示す標識類似の性質を具えたものとみるのが相当である。

しかるところ、<証拠>を綜合すると右標示板およびバリケードは、その後その設置者である熊本県公安委員会(現実には熊本北警察署)および熊本市当局より意識的になされたものであるか否かは審らかでないが、いつとはなしに前記各所定位置から姿を消し、右標示中の一枚と思われるもの(除外車種として二輪だけを掲記している点からも規制当初に設置した標示板中の一枚を充てたものと思われる。)が規制区域内である北端本標識の脇に設置されるにいたり、本件当時も同所に位置しておつたことが設められる。

ところで、「通り抜け」とは、当該区域の全部を通過し終る趣旨であり、同区域の一部の通過でもこれに該当する「通行」とはその意義を異にするものと解され(横井・木宮註釈道路交通法九三頁参照)、また警察庁保安局交通課長も昭和三五年三月二二日神奈川県警察本部長の質疑に対し、「用語上の使い分けおよび慨例的意味から、通り抜けるとは、その区域の全部を通過するものと解され、その区域の一部を通行することは通り抜けには当らないと考える。」旨回答し、交通警察行政当局の公権的解釈も夙に確定していた(警察庁交通企画課編「道路交通関係実例判例集」一五三頁参照)とみられること等に徴すると、本件当時該北端本標識脇の路上に設置されていた前記標示板記載文言の通り抜けも、特段の事情がない限り右と同趣旨に解すべきものであるといわなければならない。

然りとすれば、本件当時同一通行規制区間の同一地点に、一メートルといえども通つてはならない趣旨である「通行禁止」の道路標識と並んで、通つてもよいが通り抜けることは許されない旨の表示である熊本県公安委員会・熊本市連名による「通り抜けは出来ません」との標示板が置かれておつた(なおこの通り抜けてはならない地点が明止されておらず、かつ熊本城内には前記のごとく諸車の駐車等に使用されている広場が存したので、右標示板の文言は車両が同城内広場まで入ることは許されるが、その南端の行幸坂から向うへ通り抜けることはできず、返路は往路を逆行しなければならない趣旨の標示であるとの誤解を招く余地なしとしない。)わけであるから、同所の通行規制はその表示自体に、明らかに二律背反的な自己矛盾を蔵しておつたものであり、かつ右標示板は道路標識令所定の正規のものではないにしても車両等の進路上に置かれてあつたので、右通行禁止の本標識よりもさきに自動車運転者の眼に入り、かつ従前熊本城周縁の前記行幸坂ほか二カ所に設けられていた同型同文言記載の標示板は、当該箇所で車両の通行を止めるものではなく、運転者は該標示板設置箇所からなお相当距離(行幸坂地点においては同所から約二〇〇メートル、家裁前においては同約一〇〇メートル、棒安坂上り口においては同約五〇メートル)を引続き進行することができたのであるから、これと全く同型同内容の標示板が置かれている以上、運転者としては従前の場合から早のみ込みして、同所よりなお引続き進行することができるものとの錯覚に陥り易いことは自然の勢いであり、然らずとするも該通行禁止区間の規制趣旨につき戸惑い、その挙措に迷うおそれのあつたことは十分に推認し得られるところである。

前記証人石村睦夫同宮本直同久保恒夫(いずれも本件当時もしくはその前後に熊本北警察署交通課指導係長の職に在つた者)ならびに同森智明(本件当時熊本警察本部交通第一課企画係長の職に在つた者)は、いずれも「通り抜けは出来ません」との文言は、「通行はできません」との文言と意味は同じであつて、通行禁止の趣旨を表わすものであり、何らこれと矛盾するものではなく、同所における自動車通行禁止の規制を実効的ならしめるため本来の通行禁止の道路標識の補助的手段として設けたものである旨供述するが、両者の文言は前記のごとく明らかに文理的にもまた解釈上も異なつた意味をもつておるのみならず、右標示板が本標識の表示する規制趣旨を補足するため必要な事項を示す目的に出たものであれば、もともとそれは道路標識令別表第一番号510による補助標識でなければならないところ、同補助標識が附置される本標識は警戒標識に限られ、本件のごとき規制標識には附置できないものであり、なおまた曩に行幸坂、家庭裁判所前、棒安坂上り口の三カ所に設けられた標示板も本件の標示板と全く同じものであつたのであるから、もし右証人等の証言どおりであるとすれば、右行幸坂等設置の標示板はその設置によつて当時何ら公安委員会による通行禁止の処分がなされておらず車両の通行が自由であつた筈であるみぎ行幸坂から本件規制区域に至る約二〇〇メートルの間、同家庭裁判所前から右規制区域に至る約一〇〇メートルの間、同棒安坂上り口から同規制区域に至る約五〇メートルの間の各道路について全く法的根拠なく違法にその通行を禁止することになつたものといわなければならない(斯くのごときことは、前記設置者において毫もこれを意図しておつたことでなく、かつ実際にも右各区間の車両通行は何ら禁止されておらず自由であつたことは前記のとおりである)。

また同証人等は、右標示板は、道路標識令によるものでない任意のものであつて、もし正規の道路標識と矛盾する場合は自動車運転者は後者に従うべく、前者は無視してさし支えないものであるから、運転者に混乱を生ずる等の筈はない旨供述するが、右標示板には前記のごとく熊本県公安委員会・熊本市の共同名義が表示され、その記載文言と相俟つて前記指示標識(規制予告)類似の形式外観を有していたものであるから、運転者等は一応これを権威あるものとみるのが普通で、道路標識令に明記されていない標示であるからこれを無視して然るべきものだと判断するというようなことはむしろ異例のことというべきであり(またもし右標示板が全く法令上の根拠を欠く無意味なものであるとすれば、公安委員会や市といえどもこれを設置すべからざるものであることは、道路交通法第七六条第一、二項の律意に徴し明らかである。)、ことに運転者は相当の速度の下に運転を続けながら走馬灯のように去来する進路前方の形象から右のような判断を迫られるものであることを考えるときはいつそう然りといわざるを得ないのである。

ところで、道路標識の設置は、該標識が表示する規制処分のなされている事実についての認識を運動態勢にある車両の運転者をして告示のような観念的な記憶によらしめるだけでなく、当該規制場所に設置された該標識によつて即時かつ直接にその視覚に訴えさせ形象的な認識としてその把握を容易かつ的確ならしめる趣旨のもとになされるものであるから、適法有効な標識の設置は、これより表示される道路上における当該規制の行政処分についての有効要件をなすものと解すべきであつて(昭37.4.20最高判・集一六巻四号四二七頁、昭41.7.8高知簡判・下裁刑集八巻七号一、〇〇八頁等参照)、法令所定の要件を厳に具備することを要するは勿論、本標識(規制標識)自体には瑕疵がなくとも、補助標識その他の標識もしくはこれに類似する物件等によつて当該規制の趣旨が一義性を欠くものとなつたり、不明確なものとなつて、車両のいかなる進行を禁止もしくは制限しておるものであるかが一見しては容易に判別できないような状態にあるときは、到底当該交通規制が適法かつ有効になされているものということはできないものといわなければならない(昭43.12.17最高三小廷判・集二二巻一三号一、五〇八頁、同39.10.12鹿児島簡判・下裁刑集六巻九号一、〇三三頁等参照)。

けだし、道路交通法の所期する交通の安全と円滑を図るためには、すべての交通関与者が信号・道路標識・道路標示等の形象化されたルールを厳守しこれに随順することが絶対的に要請されると共に、反面みぎ信号・標識・標示等が簡潔・明確・定型的かつ一義的であつて、その判別に思案を要するようなことなく、その他誤解を生じさせるような些かのまぎらわしさも存しないことが必須不可欠の要事であるからである(道路交通法施行令第七条第三項には、かかる趣意も含まれておるものと解されている。―前記昭43.12.17最高三小廷判参照。)

そうすると、前記通行禁止の指定区間における道路標識(本標識)二基には、本件当時二輪のほか定時路線バスも夙に規制対象から除外され(昭和四一年三月二日熊本県公安委員会告示第三号・同年四月一日施行)、現に通行しておつたにもかかわらず、その旨を表示すべき補助標識等の附置を欠き(この点は当裁判所の第一回検証調書により明白である。)、したがつて告示と標識との間に明らかな矛盾が存するという瑕疵(尤もそれだけでは必らずしも右標識の規制効を左右するほどのものではないと考えられるが)が存したうえ、前記のごとく通行禁止の趣旨と矛盾する通り抜け禁止の趣旨を表示する熊本県公安委員会・熊本市共同名義の標示板が北端本標識に並置されておつたのであるから、設置者の主観的意図如何に拘らず、同所の交通規制には、運転者に対し車両の進入を禁じているのか、その通り抜けだけを禁じているのかを一義的に明らかにしていない不明確かつ曖昧なものが存し判別の容易性が確保されていないので、結局該標識の表示する該道路上における通行禁止の規制処分(行政処分)は、道路交通法施行令の前記法条に違反し本件当時適法かつ有効になされてはおらなかつたことに帰着するものといわねばならない。

しかして、道路標識の表示する規制処分は、該規制の全区間について不可分的に成立するものであるから、右瑕疵に因る効果も本件通行禁止の全区間すなわち加藤神社前から植物園(監物台樹木園)前に至る約七〇メートルの間全域に及ぶものであることは勿論であるというべきである。

然りとすれば、被告人は本件当時該標示板の設置されていたと反対側の入口から該規制区間に入つた(因みに約三五メートル位入つてから引返している。)ものであるが、すでに右のごとく同区間全体の規制が客観的に適法かつ有効になされておらなかつたものと認むべき以上、被告人の右所為は、その主観如何にかかわらず、公安委員会による適法かつ有効な通行禁止の処分の存在を前提とする道路交通法第一一九条第二項第一項第一号の罪を構成しないものといわなければならない(前記昭43.12.17最高三小廷判参照)。

三、結論

以上によれば、結局被告人の所為は、罪とならないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条前段に則り、主文のとおり判決する。(石川晴雄)

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